ユネスコの諮問機関「イコモス」は
現地調査などの結果、

天草市の崎津集落を含む、
「長崎と天草地方の
潜伏キリシタン関連遺産」を

世界文化遺産への「登録」が適当
とする勧告をまとめた。

6月24日からバーレーンで開催する
世界遺産委員会で
正式に決定される見通し。

ほぼ決定みたいですが
まだ正式決定ではないんですね。

そして、聞き慣れないのが
「潜伏キリシタン」という言葉。

「隠れキリシタン」との違い
どんな意味なのかもよくわかりません。


世界遺産の種類や、
文化遺産の意味についても
深掘りしていきます!

さっそくどうぞ!

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潜伏キリシタンの意味

◆潜伏キリシタンとは

潜伏したキリスト信者の意味で、島原の乱後,厳重になった江戸幕府の禁圧政策のもとで,表向きは仏教徒をよそおいながら,1873年禁教の高札が廃されるまで信仰を守り続けてきたキリスト教徒。

北九州地方に多い。民俗信仰と混合した特異の礼拝形式や習慣をもつ。

1865年宣教師プティジャンが長崎大浦で発見後,その多くがカトリック教会に加わった。しかし長崎県五島列島,生月島などには,なお旧習を守って現在に及んでいる信者がいる。

プティジャンの発見以後の信徒を隠れキリシタンと呼ぶ。引用:コトバンク

潜伏キリシタンとは、江戸幕府が
禁教令を出した後も、

生きるために表面的には

仏教徒を装いながらも
キリシタンであることを隠し続け

禁教令が解かれるまで約230年間、
信仰を守り続けました。

そして、

大浦天主堂で再渡来したフランス人
神父プティジャンと出会い,

近代カトリック教会を
復活させた人々を
潜伏キリシタンと呼んでいます。

隠れキリシタンとは?

◆隠れキリシタンとは

信教自由の現代社会で江戸キリシタン弾圧時代の潜伏形態を続けている人々をいう。

同じように潜伏して信仰を伝承しながら1865年(慶応1)大浦天主堂で再渡来したフランス人神父プティジャンと出会い,近代カトリック教会を復活させた人々を〈潜伏キリシタン〉と呼んで区別する。

現在隠れキリシタンは長崎県だけに存在し,外海(そとめ)・五島系と生月(いきつき)・平戸系に分けられ組織と生活慣習が異なっている。引用:コトバンク

 

隠れキリシタンとは、江戸幕府が
禁教令を出した後に

生きるために仏教徒を装っていた
というところまでは
潜伏キリシタンと同じなんです。

1873年に禁教令が解かれ
潜伏する必要がなくなっても、

江戸時代の独自の形態を守り、
カトリック教会に戻らない信者。

違うことはわかりますが
何がどう違うのか
分かりづらいですね(汗)

そんなこともあり

潜伏キリシタンと
隠れキリシタンの違いを
簡潔にまとめました。

 

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「潜伏キリシタン」と「隠れキリシタン」の違いをわかり易く!

「潜伏」と「隠れ」の違いを簡潔に説明
  1. 「潜伏キリシタン」:キリスト教徒(カトリック)
    ⇒強制改宗により仏教を信仰していると見せかけているが、キリスト教(カトリック)を偽装棄教した信者。(昔も今もキリスト教信者)
  2. 「隠れキリシタン」:カトリックと日本的な独自の民族宗教をカスタマイズして信仰している人
    ⇒1873年(明治6年)に禁教令が解かれ潜伏する必要がなくなった後も、潜伏していた時代に独自に伝承された信仰形態を守り、カトリック教会に戻らない信者の事。(カトリック教に戻らない信者)
ざっくりとした分類なので、
あくまで参考ということで・・・

更に、隠れキリシタンは
今はもう隠れていませんし、

俗に言う「キリシタン」でもありません。

ややこしいですね(笑)

 

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潜伏・隠れキリシタンの始まり


「潜伏キリシタン」と
「隠れキリシタン」が生まれた経緯を
サラッと説明します。

1549年にフランシスコ・ザビエルが種子島に上陸

フランシスコ・ザビエルが
日本にキリスト教を伝えたのは
学生時代に習いましたよね。

その後、日本国内で急速に
キリスト教は広まっていき
「キリシタン大名」まで誕生。

1587年に豊臣秀吉『バテレン追放令』

バテレン(伴天連)とは、
ポルトガル語の「padre=神父」を
指す言葉です。

「バテレン追放令」とは、
キリスト教宣教師に国外退去を命じた
もので、

キリスト教を信じることまで
禁止したものではありません。

宣教師を追放すれば布教活動は
できず、キリスト教も広まらないと
甘い考えだったのでしょうか?

緩めの禁教令でしたので
その後も、貿易は続き信者も
どんどん増えることになります。

キリスト教信者が急増する事に驚異を
感じた江戸幕府は

1614年に江戸幕府『キリスト教禁教令』

江戸幕府はキリスト教禁教令をだし

キリシタンは親交を隠したり
辞めたりすることを強要されました。

『踏み絵』とか習いましたね。

真教の自由が認められれいる現在では
考えられないことです。

つまり

「潜伏キリシタン」と
「隠れキリシタン」は、

江戸幕府が禁教令を出したので

生きるために表向きは仏教徒の
振りをしていた、カトリックの
キリシタンだったんです。

潜伏中にいろいろあって
潜伏・隠れキリシタンに
わかれたそうです。

勉強になりますね!

有名なキリシタン大名など

  • 有馬晴信:(バルトロメオ) – 日本最初のキリシタン大名。
  • 大友義鎮(宗麟):(ドン・フランシスコ) – 豊後領主。代表的なキリシタン大名の一人。宗麟の法号で知られている。
  • 大村純忠:(バルトロメオ) – 日本最初のキリシタン大名。
  • 小西行長:(アウグスティノ) – 関ヶ原敗戦後、キリシタンであるため切腹を拒み刑死。
  • 高山右近:(ドン・ジュスト) – 代表的なキリシタン大名。一時、赤石城主。追放先のマニラで客死。
  • 黒田官兵衛:(ドンシオメン)秀吉の軍師として有名で、代表的なキリシタン大名として知られる高山右近の影響を受け入信
  • 天草四郎時貞:(ジェロニモ) – 島原の乱指導者。この乱は必ずしも純粋に宗教的なものでなく、農民一揆の側面も持っている。
 

キリスト教布教活動は
植民地政策一環と言われていますので

民衆だけでなく、多くの大名にも
キリスト教が普及してくれば

江戸幕府が驚異に感じたのも
無理もなかったのかもしれません。

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世界遺産の種類と文化遺産


ユネスコが登録する世界遺産は、

その特質に応じて

「文化遺産」「自然遺産」「複合遺産」に分類されます

今回、ユネスコの諮問機関
が世界遺産に勧告した

天草市の崎津集落を含む、
「長崎と天草地方の
潜伏キリシタン関連遺産
」は

「文化遺産」に分類されます。

そして

■「文化遺産」は更に3つに分類され

  • 記念物
  • 建造物群
  • 遺跡
■「登録基準」は6項目あります
  1. 人類の創造的才能を表現する傑作。
  2. ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
  3. 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
  4. 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
  5. ある文化(または複数の文化)を代表する伝統的集落、あるいは陸上ないし海上利用の際立った例。もしくは特に不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている人と環境の関わりあいの際立った例。
  6. 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。
 

ユネスコのお偉いさん達が
集まって話し合い

決めるんでしょうが
ド素人の私にはさっぱりわかりません。

今回、話題になっている

天草市の崎津集落を含む、
「長崎と天草地方の
潜伏キリシタン関連遺産
」は

いろいろな項目に当てはまりそうですね。

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まとめ

今回は世界文化遺産への
「登録」が適当とする勧告された

「潜伏キリシタン」という言葉に
注目して深掘りしてみました。

世界文化遺産に正式に登録されるかは

現在登録されている
世界遺産が審査基準の一つに
なるんでしょうけど

6月24日からバーレーンで開催される
世界遺産委員会の決定を待ちましょう。

世界文化遺産に正式決定されたら
確実に観光客も増えるので

これからは、遺産の維持管理が
重要課題となりますね。

世界遺産となれば
なんとしても守らなければなりません。

劣化が進んでしまっては
意味がありませんからね。

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